日本に限らず、お祭りと言えば、村や町を挙げて大人たちもが真剣に取り組む神事の1つですよね。
季節を問わず日本各地で行われる様々なお祭りの中には、日本だけに留まらず、世界中から見物客が集まるような有名なお祭りも沢山あります。
また、有名でなくても地元に密着し、古くから受け継がれているお祭りは、その町の人たちに愛され続け、その町のシンボルにもなっています。
今日のテーマとなっている「だんじり祭り」もその1つに入ると思いますが、中でも「岸和田のだんじり祭」と言えば、知らない人はいないくらいですよね。皆さんは参加したり見に行ったりしたことはありますか?
私は、そのどちらも経験がないのですが、熱い男たちの魂と魂のぶつかり合いのようなイメージを持っています。
ですが、そもそも「だんじり祭り」ってどんな神事なのでしょうか?
だんじり祭りに限らず、お祭りには何かしらの意味がありますよね。
例えば「田植え祭り」や「豊作祈願祭」だと、意味も一目瞭然です。
若しくは、京都の祇園祭のように世界的に有名なお祭りになってくると、その意味についても耳にする機会が多く、何となくでも、そのお祭りの起源や由来などを知っていたりするのですが、だんじり祭りに関しては「激しさ」の方が独り歩きしてしまい、意外に由来や意味までは知らない、という方も多いかもしれませんね。
そこで、今日は「だんじり祭り」が始まった理由や意味に加えて、だんじり祭りの特徴などを詳しく調べてみようと思います。
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だんじり祭りの起源
日本各地にある山車(だし)や、まつり屋台と呼ばれるものを曳き回す形のお祭りは、もともとは京都市の八坂神社が始まりと言われています。
だんじり祭りは京都の祇園祭の山に倣って作られており、それが今の形に発展したようですね。
いつ頃から始まったのかは、はっきりしていませんが、江戸時代に曳かれていたことは記録からも分かっています。
実は、発祥の地も定かにはなっていず、諸説あるようです。
大阪天満宮という「天満説」や、大阪府堺市という説の他にも、大阪府羽曳野市の「誉田八幡宮説」や、兵庫県淡路島の説などもあるようです。
いずれにしても関西が発祥であることは間違いなさそうですね。
なぜお祭りになったの?
さて、何故お祭りになったのか、という一番の疑問点ですが…
もともとお祭りとは「その土地の神様を奉り、豊作や大漁、無病息災などを祈願して、それに感謝する」神事の1つです。
だんじりは、その時の神輿のお供として同行する山車や屋台のうちの1つだったようで、どちらかというと神事以外で氏子が楽しめる出し物に近い存在のものだったようです。
それが、いつしかお祭りの主体となり「だんじり祭り」として発展していったと考えられます。
最近では時代の流れも手伝って、豊作祈願や祭礼などのもともとの意味よりも、町のシンボルや町内イベントとして賑わっている地域も多いようです。
また、だんじり祭りと言えば「岸和田だんじり祭」が有名で、その多くは大阪府に集まってはいるものの、「だんじり」とつくお祭りは、大阪府以外にも点在していますので、いくつかご紹介したいと思います。
岡山三大だんじり祭り…岡山県内で行われる津山市の津山まつりを筆頭に、倉敷市の鴻八幡宮例大祭、真庭市の勝山・久世祭りを総称して岡山三大だんじり祭りと呼んでいます。秋に開催されています。
宝塚だんじりパレード…兵庫県宝塚市で秋に開催されています。
八百津だんじり祭…岐阜県八百津町で春に開催されています。
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だんじりの意味
では、だんじり祭りの「だんじり」とは、そもそもどういう意味なのでしょうか?
実は、お祭りなどに使われる山車のことを、大阪を中心とした近畿一円では「だんじり」と呼んでいます。
屋根が付いた屋台と呼ばれるものの下に車輪を付けて、中に笛や太鼓などの囃子方と呼ばれる人を乗せ、お囃子をしながら、曳いたり担いだりして練り歩きます。
場所によっては、曳き物をだんじりと呼ぶところもあれば、担き物をだんじりと呼ぶところもあります。
特徴
下地車(しもだんじり)と上地車(かみだんじり)
だんじりは神事に使われるため、昔から宮大工さんの手によってケヤキ材やヒノキ材を使い、寺社建築様式にて作られてきました。
現在では、「だんじり大工」と呼ばれる専門の方もいらっしゃるそうです。
ちなみに一体の値段は数千万円以上とか…
スゴイですよね。
だんじりには2種類あって、下地車(しもだんじり)と上地車(かみだんじり)に分けられます。
下地車は「岸和田型」と呼ばれ岸和田だんじり祭で使われているだんじりを指しています。
「担い棒」「肩背」と呼ばれる枠がないのが特徴です。
一方、上地車は、それ以外の形のものを指し、「担い棒」「肩背」と呼ばれる枠が付いているだんじりのことです。
提灯と彫刻
だんじりは、夜になると一斉に提灯の灯りが点されます。
多いところは100個以上の提灯をくゆらせ、曳行されます。
その幽玄な様は何とも日本らしく、例えようもないほどの美しい光景と言われています。
そして、夜の美しさも然ることながら、だんじりに施された彫刻にも注目して下さい。
多くの曳き手によって動かされているため、立ち止まってじっくりと観察するチャンスは少ないかもしれませんが、もし機会がありましたら是非だんじりに施された見事な彫刻をご覧になって頂きたいです。
だんじりは「動く美術館」や「動く歴史絵巻」と言われるほど素晴らしい彫刻が彫られています。
彫刻は専門の彫物師さんが彫るのですが、彫刻には、それぞれに古事や神話・合戦絵巻などのストーリーが隠されていて、見て楽しむことも読み解く面白さもあります。
また、彫刻以外にも、美しく豪華な刺繍の施された「飾幕」があるだんじりもあり、見応えは十分です。
夜は提灯・昼は彫刻で、だんじりの素晴らしさを感じて下さい。
鳴物・囃子・曳き唄
だんじりは「だんじり囃子」というリズムに合わせて動きます。
歩いている時はゆっくり、走っている時は早く、とリズムは変わります。
鳴物については、横笛・大太鼓・小太鼓・鉦が一般的ですが、地域によって様々です。
だんじりを曳く時に唄う曳き唄は、今ではまったく唄わなくなった地域もあるようで、だんじり祭りと言っても、その内容は地域によって随分違いがあるようですね。
まとめ
日本には数えきれないほどのお祭りが存在しています。
皆さんも、幼い頃から何かしらの形でお祭りを見たり参加したりしたことと思います。
理由は分からないけれど、とりあえず引っ張った子ども山、浴衣を着て出店で金魚すくいや綿あめを食べた、などの思い出は沢山ありますが、そのお祭りがどうして開催されているのかと言う理由を聞かされたことのある方は少ないかもしれません。
お祭りのほとんどは、その昔、京都から始まり、そこから各地へと渡り、その土地の風習や問題と重ね合わされ、やがて独自のお祭りとなり、それが時代とともに更に形を変えて今のお祭りが存在している、というのは何だか雅な話ですね。
「今」とともに形を変えていく柔軟性は素晴らしいと思います。
ですが、出来ることなら、時代とともに形や理由が変わったとしても、そのもともとの意味や、そのお祭りをする意義は、若い世代に伝えていけたら良いなと思います。
そして、それを理解したうえで参加し、見に行く、というお祭りに対する真剣な気持ちが、人々を魅了し、素晴らしいお祭りを作り上げていくと思うのです。