好きな人たちが自分を好きで、そんな人たちに囲まれていると、とても気持ちよく心地よく温かく感じます。
エネルギーがしぼんでいても、自然にエネルギーが高まります。
エネルギーは高めるものではなく、自然に高まるものなんですね。
自然にだから操作できません。
エネルギーを高めようとして色々工夫するよりも、自分を満たすことで自然にエネルギーが高まるのだと感じました。
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自分を満たすということ
自分を満たすと言われてもどうすればいいのか。
エネルギーを高めるのではなく、自然にエネルギーが高まるようにするにはどうすればいいのか。
自分を好きで自分も好きな人たちに囲まれて気分良く過ごせばエネルギーは自然に高まっています。
でもそれには周りの人に認められなければいけない気がする。
だからと言って周りの人に認められようとするのなら、欠乏感や承認欲求が出て本末転倒なのです。
よりエネルギーがしぼんでいく。
他人の目を気にする。
そればかりやっているから、いつまでたっても満たされることはなく、苦しいのです。
自分を満たすというときに、好きな食べ物を食べたり、好きな場所に出かけたりという手段を取ることもひとつの手かもしれません。
でもそれよりもっと確実な方法があります。
それは自分を受け入れ認めることなのだと思います。
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自分を受け入れ認めるということ
自分を受け入れる、自分を認めると言われても、自分の悪いところばかり目についてしまい、とてもじゃないけど認められない。
周りから認められる自分にならないと自分で自分を認めることなどできない。
そんな風に思っていました。
でも気付きました。
他人に認めてもらいたいのなら、確実で単純な方法があったのです。
それは、自分自身が自分を受け入れ認めること。
逆転の発想というか、こっちが本当だったのです。
自分自身を受け入れ認めている人は、周りからもそうされます。
それが宇宙の仕組みだからです。
思っていることが現実化している。
だから、自分を大したことがないと思っていればそれが現実化しています。
自分を認めてほしいなら、まずは自分自身が自分を認めて満たすこと。
そこから始まるのでした。
本当は世界はやさしいものなのです
自分を認めてほしくて、でも自分自身では認められないとき、世界はとても怖くて難しいもののような気がします。
他人の顔色が気になって、受けがいいように振る舞おうとしたり、自分を捻じ曲げてでも良い対応をしようとしたりします。
でも一向に良くならず、だんだん疲弊していくのです。
誰にも受け入れられず、認められず、苦しくて寂しくて、こころは痛みエネルギーもしぼんできます。
どんなに苦心してもうまくいかず、ますます自分に対してガッカリしてしまいます。
それはそういう仕組みだからなのです。
自分が思っていることが現実化しています。
自分が自分を大したことない、好かれていない、認められていないと思っているからそれが現実化しているのです。
そんなこと言ったって証拠が欲しいんだ。と思ったりもします。
自分は大丈夫だという証拠。他人からの評価が欲しいのです。
でもそのために自分を取り繕って、自分を曲げて、相手に合わせようとするのは間違った手段だったのでした。
どんな自分をお望みですか?というところから入るのではなく、
証拠がほしいなら、まずは自分をととのえてそれをみてもらうこと。
こんな自分ですというのをみせて、それを評価してもらうことなのだと思います。
そのためには、まずは自分が自分を受け入れ認めること。
それだけでも他人からも受け入れられるようになります。
それが仕組みだからです。
だから逆に、自分が自分を認められないのなら、他人からも認められることはないでしょう。
思っていることが現実化しているからです。
まずは自分自身が自分を受け入れ認めること。
それが一番確実で一番単純な方法なのだから、どうせ努力するならこっちを意識した方がいいと思いました。
そのためにどうするか、率先して他人を受け入れ認めることがひとつの手かもしれません。
自分の周りに好きな人たちばかりいれば、そんな自分を好きになることができるかもしれません。
あと何より、好きな人に囲まれていれば心地よく気分良くいられるはずです。
そしてエネルギーが高まることで、自分自身を受け入れ認めることができるようになり、
相手にも受け入れ認められるようになるので自分を好きになってくれるかもしれません。
そうなればしあわせのスパイラルが起こりますね。
自分から率先して与えることというのはこういうことかもしれません。
自分が満たされればエネルギーは自然に高まり、自然に自分自身を受け入れ認めることができている。
この宇宙の創造の秘密から、一瞬一瞬心地よく気分良く快適に過ごすということは、
手段としてそうであろうとする、カタチから入るというよりも、
ただ単純に自分を満たすということなのだと感じました。
好きなものに囲まれて、好きな人たちといて、好きなことをやっているとき、こころは解れ温かく感じられている。
手段よりこの感覚がだいじ。
常にそうであれるよう意識していこうと思いました。